人工血管置換術(Hemi arch)の概要
人工血管置換術(Hemi arch)は、大動脈弓部の疾患(例えば大動脈解離や大動脈瘤)に対する治療手術であり、病変が存在する大動脈弓部分の一部を人工血管で置換することを指します。特にHemi arch手術は、大動脈弓の半分程度を対象とした手術で、全弓置換術に比べて侵襲が少なく、合併症のリスクが低いとされています。
手術の適応疾患の種類と診断基準
人工血管置換術(Hemi arch)は、大動脈瘤、大動脈解離、およびその他の大動脈弓関連疾患の治療に適用されます。手術の適応となる主な疾患と診断基準は以下の通りです。
- 大動脈瘤: 大動脈の直径が正常値よりも著しく大きい状態。非結合組織障害を有する無症候性患者では、大動脈の直径が5.0cmを超える場合や、結合組織疾患(例:マルファン症候群)を有する患者では、4.5cmまたはそれ以上で手術を考慮する。
- 大動脈解離: 大動脈の内膜が裂け、血液が大動脈壁内に流入することで形成される二重の管状構造。タイプA解離(上行大動脈および大動脈弓を含む)では、緊急手術が通常必要です。
特定の遺伝性疾患: マルファン症候群、ロイス・ディーツ症候群などの患者は、大動脈瘤や解離のリスクが高く、より小さい大動脈径(例えば4.0-4.5cm)での手術が推奨されます。
適応となる患者の条件
手術適応となる患者の条件は、以下の要素に基づいて個別に評価されます:
- 疾患の進行速度: 年間0.5cm以上の速度で大動脈径が拡大している場合、手術の検討が必要です。
- 症状: 胸痛、背中の痛み、呼吸困難など、大動脈瘤や解離に起因する症状がある場合、手術が推奨されます。
- 関連する心血管疾患: 同時に冠動脈疾患や心弁膜症を有する患者は、これらの病変の治療と同時に大動脈の手術を行うことが推奨されます。
- リスク因子: 高血圧や動脈硬化など、大動脈瘤や解離のリスクを高める要因が存在する場合、これらの管理と並行して、手術的介入が検討されます。
手術前の準備
患者の評価
心機能の評価
手術前の心機能評価は、患者さんの全身状態を把握し、手術リスクを評価する上で非常に重要です。この評価には以下が含まれます。
- 心電図(ECG):不整脈や以前に発生した心筋梗塞の証拠を探します。
- 心エコー:心臓の構造と機能を評価し、大動脈の状態、弁膜症の有無、心室の機能を確認します。
- 心臓カテーテル検査:必要に応じて、冠動脈の状態を評価し、心臓手術の計画に不可欠な詳細情報を提供します。
その他の身体状況の確認
心機能以外にも、以下のような全身状態の確認が必要です。
- 腎機能検査:血清クレアチニンと尿素窒素(BUN)レベルの測定を含みます。
- 肺機能テスト:特に喫煙歴がある患者や慢性閉塞性肺疾患(COPD)の既往がある場合に重要です。
- 血糖値測定:糖尿病の管理と術前の血糖コントロールを確認します。
- 神経学的評価:術前の基準となる神経状態を把握し、術後の変化を評価するために行います。
術前の検査
画像診断の重要性
画像診断は、病変の正確な位置、大きさ、および形態を把握する上で不可欠です。以下の画像診断が一般的に用いられます。
- 胸部X線:心臓と大動脈の大きさ、形状の変化を概観します。
- CT:3次元的な大動脈の詳細な画像を提供し、病変の正確な位置や周囲の構造との関係を評価できます。
- MRI:CTと同様に大動脈の詳細な画像を提供し、放射線被曝を避けることができます。
- 心エコー:動脈の流れや弁の機能をリアルタイムで観察し、心機能の評価にも用いられます。
必要な血液検査
術前の血液検査には、以下の項目が含まれます。
- 全血算:貧血、感染症、血液凝固能力の評価が含まれ、出血傾向や感染症の有無を確認します。
- 生化学的検査:肝機能、腎機能、電解質のバランスを評価します。特に、手術によるストレスや術後の管理に影響を及ぼす可能性があるため、正確なデータが必要です。
- 凝固検査:手術中の出血リスクを評価するため、PT(プロトロンビン時間)、aPTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)、INR(国際標準化比)などの検査を実施します。
- 血液型と交差試験:必要に応じて輸血が行えるよう、血液型を特定し、交差試験を行います。
手術手技
切開からアクセス方法まで
手術は、患者の胸部を切開して大動脈にアクセスすることから始まります。このプロセスには、以下のステップが含まれます。
胸骨切開
- 正中切開:胸骨の中央を縦に切開する方法。最も一般的なアプローチ。
- 上方正中切開:胸骨上部から正中線に沿って切開する方法。大動脈弁置換術など、上行大動脈へのアクセスに適している。
- 下方正中切開:胸骨下部から正中線に沿って切開する方法。下行大動脈へのアクセスに適している。
- 旁正中切開:胸骨の横に沿って切開する方法。美容的な利点があるが、正中切開に比べて視野が狭くなる。
切開の長さは、手術内容や患者の体格によって異なりますが、一般的には15~20cm程度です。
心膜の開放
- 膜を電気メスで切開する方法。
- 心膜剥離子を用いて心膜を剥離する方法。
心膜を切開すると、心臓が露出します。
心停止の導入
- 低体温心停止:体外循環装置を用いて患者の体温を32℃程度に低下させ、心拍数を停止させる方法。
- 薬物による心停止:心拍数を抑制する薬剤を投与して心停止させる方法。
低体温心停止は、脳への血流を減少させ、脳損傷のリスクを軽減する利点があります。一方、薬物による心停止は、低体温心停止に比べて操作が簡便ですが、脳損傷のリスクがやや高くなります。
人工血管の選択と配置
人工血管の選択と配置は、手術の成功において最も重要な部分の一つです。
人工血管の選択
人工血管は、材質、形状、分岐部の有無など、さまざまな種類があります。
材質
- テフロン:耐久性に優れているが、硬いため縫合が難しい。
- ダクロン:柔軟性があり縫合しやすいが、テフロンに比べて耐久性が劣る。
形状
- thẳng:まっすぐな形状。
- 彎曲:弓状に弯曲した形状。
分岐部の有無
無分岐:分岐部のない人工血管。
- 一分岐:1つの分岐部を持つ人工血管。
- 二分岐:2つの分岐部を持つ人工血管。
これらの要素を考慮して、患者の大動脈のサイズ、形状、および病変の性質に最適な人工血管を選択します。
人工血管の配置
人工血管を適切な位置に配置し、両端を周囲の健康な大動脈組織に縫合します。
縫合方法
- 手縫い:熟練した外科医が必要だが、精度の高い縫合が可能。
- 機械縫合:迅速かつ簡単に縫合できるが、手縫いに比べて精度の面で劣る。
吻合部:人工血管と大動脈の接合部
- 吻合部の形態:端々吻合、側側吻合、端側吻合など。
- 吻合部の固定:ステントグラフトなどを用いて吻合部を固定する方法。
人工血管の配置と縫合は、非常に繊細な作業であり、外科医の高い技術が求められます。
体温管理と血流管理
心臓手術、特に大動脈に関わる手術では、体温管理と血流管理は患者の安全を確保し、手術成績を向上させるために極めて重要です。
体温管理
体温管理は、脳をはじめとする臓器の保護に不可欠です。低体温状態を作り出すことによって、手術中の組織の酸素需要を減少させ、長期間の血流停止に耐える能力を高めます。
深部低体温法
- 目的: 手術中に脳を保護し、脳損傷のリスクを減少させる。
- 手順: 患者の体温を14°Cから18°Cの範囲まで下げることで、代謝活動を最小限に抑え、脳の酸素需要を大幅に減少させます。
- 監視: 体温は、鼻腔温度計や直腸温度計を使用して厳密に監視されます。
血流管理
心臓手術では、人工心肺装置を使用して患者の血液循環を一時的に置き換えることが一般的です。この機械は、心臓と肺の機能を模倣し、体全体に酸素を含んだ血液を供給し続けます。
人工心肺装置の利用
- 目的: 手術中に心臓と肺の機能を支援または一時的に置き換える。
- 手順: 血液は体外の機械を通過し、酸素を取り込み二酸化炭素を除去した後、体に戻されます。
- 重要性: 血流管理を通じて、手術中の臓器への損傷を最小限に抑えることが可能となります。
血流動態の監視
- 方法: 血圧、心拍数、血中酸素飽和度など、患者の血流動態は連続的に監視されます。
- 目的: 術中および術後の患者の状態を最適に保つため。
人工血管置換術(Hemi arch)合併症とリスク
一般的な合併症
出血
手術中や手術後に出血が生じる可能性があります。これは、手術部位の血管からのものや、血液凝固障害によるものなど、様々な原因によります。
対応策
- 術前の凝固プロファイルの評価
- 手術中の厳密な出血管理
- 必要に応じて血液製剤の使用
感染
手術部位の感染は、術後の合併症として特に注意が必要です。
対応策
- 適切な創傷ケア
- 抗生物質の予防投与
- 感染症の早期発見と治療
神経学的合併症
手術中の脳への血流不足が、一時的または永続的な神経学的障害を引き起こすことがあります。
対応策
- 手術中の脳保護戦略(例: 深部低体温法、選択的脳灌流)
- 術後の神経学的モニタリングとリハビリテーション
循環器系の合併症
手術によって心臓や大動脈の機能に影響を与え、心不全や循環不全を引き起こす可能性があります。
対応策
- 術前の詳細な心機能評価
- 手術中および術後の循環管理
- 必要に応じて薬物療法や機械的補助装置の使用
術後の管理
ICUでの初期管理
呼吸管理
- 術後直後は、ほとんどの患者が人工呼吸器に依存します。
- 患者の酸素供給と二酸化炭素排出のバランスを確保するために、定期的な血液ガス分析が必要です。
- 呼吸器からの離脱は、患者の呼吸機能が安定し、自発呼吸が十分に確立された後に行われます。
循環動態の安定化
血圧、心拍数、中心静脈圧などの循環動態のパラメータを厳密にモニタリングします。
必要に応じて、血圧をサポートするための薬剤(例: 血管収縮薬)や、心機能をサポートするための強心薬が使用されます。
適切な体液管理により、過剰な水分負荷や脱水を避け、循環動態の安定を図ります。
短期的合併症の対処
感染症の予防と管理
術後の感染は、回復を遅らせる重要な要因です。
抗生物質の適切な使用、定期的な創傷の観察とケア、清潔な環境の維持が必要です。
血栓の予防
深部静脈血栓症(DVT)や肺塞栓症(PE)は、術後の患者にとって重大なリスクです。
予防策には、早期の活動開始、圧迫ストッキングの使用、必要に応じて抗凝固薬の投与が含まれます。
長期フォローアップ
再手術のリスク
人工血管置換術を受けた患者は、生涯にわたって定期的なフォローアップが必要です。
画像診断(例: エコー、CT、MRI)を用いた定期的な評価により、人工血管の機能と周辺組織の状態をモニタリングします。
再手術が必要となるリスク要因には、人工血管の劣化、接続部位の問題、または新たな大動脈疾患の発生が含まれます。
入院~退院後の流れと、リハビリについて
心臓手術を受ける患者の入院から退院後に至るまでのプロセスと、心臓リハビリテーションについては以下のリンクをご参照ください。
入院中のケアから、退院後の生活への適応、そして心臓リハビリテーションを通じての健康回復と生活質の向上に至るまで、ご紹介しています。
よくある質問
こちらのコラムの内容の要点を「よくある質問」からまとめています。
人工血管置換術(Hemi arch)とは何ですか?
人工血管置換術(Hemi arch)は、大動脈弓部の疾患(例えば大動脈解離や大動脈瘤)に対する治療手術であり、病変が存在する大動脈弓部分の一部を人工血管で置換することを指します。特にHemi arch手術は、大動脈弓の半分程度を対象とした手術で、全弓置換術に比べて侵襲が少なく、合併症のリスクが低いとされています。
人工血管置換術(Hemi arch)の適応疾患は何ですか?
人工血管置換術(Hemi arch)は、大動脈瘤、大動脈解離、およびその他の大動脈弓関連疾患の治療に適用されます。主な適応疾患には、大動脈の直径が正常値よりも著しく大きい大動脈瘤や、大動脈の内膜が裂け血液が大動脈壁内に流入する大動脈解離などがあります。
手術前の準備にはどのようなことが含まれますか?
手術前の準備には、心機能の評価、その他の身体状況の確認、画像診断、必要な血液検査が含まれます。これらの評価と検査により、患者さんの全身状態を把握し、手術リスクを評価し、病変の正確な位置や大きさ、形態を把握することができます。
人工血管置換術(Hemi arch)における体温管理と血流管理の重要性は何ですか?
心臓手術、特に大動脈に関わる手術では、体温管理と血流管理は患者の安全を確保し、手術成績を向上させるために極めて重要です。体温管理は脳をはじめとする臓器の保護に不可欠であり、血流管理を通じて手術中の臓器への損傷を最小限に抑えることが可能となります。
人工血管置換術(Hemi arch)後の合併症とリスクにはどのようなものがありますか?
人工血管置換術(Hemi arch)後の一般的な合併症には、出血、感染、神経学的合併症、循環器系の合併症があります。これらの合併症への対応策には、術前の凝固プロファイルの評価、適切な創傷ケア、手術中の脳保護戦略、術前の詳細な心機能評価などが含まれます。
関連コラム
【参考文献】
・一般社団法人 日本循環器学会
2020年改訂版 大動脈瘤・大動脈解離診療ガイドライン
https://www.j-circ.or.jp/cms/wp-content/uploads/2020/07/JCS2020_Ogino.pdf【株式会社増富の関連コラム】
・大動脈解離
・胸部大動脈瘤
・人工血管置換術(Total arch)
心疾患情報執筆者
竹口 昌志
看護師
プロフィール
看護師歴:11年
《主な業務歴》
・心臓血管センター業務
(循環器内科・心臓血管外科病棟)
・救命救急センター業務
(ER、血管造影室[心血管カテーテル、脳血管カテーテル]
内視鏡室、CT・MRI・TV室など)
・手術室業務
・新型コロナウイルス関連業務
(PCR検査センター、コロナ救急外来、HCU、コロナ病棟、
コロナ療養型ホテル、コールセンター)